2013年6月22日土曜日

まち再生の術語集 延藤 安弘 (著)

・まちづくりについての術語集。著者の遊び心のお陰で、コトバ遊び的な面白さに引っ張り回されてるうちに、実は気付かぬうちに都市景観の計画論から行政、ひいては西田哲学までを包含した広大な「まちづくり」空間を案内してもらっていたことに気付く。著者はかなり「いけてるファシリテーター」らしいが、本書でもその面目躍如の感がある。

・なお、本書で「まちづくり」と言っているのは、住民主体のサステナブルなコンテンツジェネレート型コミュニティといったところか。古き佳き日本的な住民コミュニティの礼賛が若干強すぎるきらいもあるが、許容範囲かと。

・そこかしこに散見されるコトバ遊び。松岡正剛さんなら「編集の達人」と位置づけるのかなとぼんやり思った。

・「クリストファー・アレグザンダー(アメリカの建築家)によれば、まちは八パーセント以上の空き地が発生すると、そのまちは死滅に向かう、それ程のドンゾ底に落ち込んでいます。(P24)」

・「高等動物には、『他の個体への共感の高さ』があり、『人類も、採集狩猟生活をしていたころ、生きているもの、動くものすべてに共感していた』といいます(野田正彰『共感する力』みすず書房」。(P64)」

・(台湾での事例を挙げて)「ある日の会合で、行政側の責任者は『私たちは今まで原住民に漢民族のやり方(法律・制度)をおしつけてきました。しかしこれからは、私たちが原住民の文化に学ぶ時代が来ました。この提案を生かしましょう。」と歴史的発言。(P84)」

・「どんなややこしいトラブルにおちいっても、ユーモアやニュアンスや笑いという別次元のコミュニケーションが出口を開きます。グレゴリー・ベイトソンの「ダブルバインド理論」が示唆したように、人間のコミュニケーションは複数の次元(言葉と態度、表情と行動など)で重層的に発信されており、相矛盾するメッセージで開いてを追い詰めることも可能なら、逃げ道を開くことも可能だからです。(P86)」

・「西田幾多郎の語る『場所の哲学』を参照しますと、『我とは主語的統一ではなくして、述語的統一でなければならぬ、一つの点ではなくして一つの円でなければならぬ、物ではなく場所でなければならぬ』とされています(『西田幾多郎全集第三巻』)。(P143)」

・「本書のコンセプトはまさに『人生ってエエモンやなあ』『自分のまちは捨てたもんやないなぁ』と『生を楽しむ』センスです。(P205)」とあるが、まさに、本書からは、そんなセンスを強く感じた。

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