2017年2月11日土曜日

ビッグデータと人工知能 - 可能性と罠を見極める (中公新書) 西垣 通

 西垣センセーの情報学のテキストは、難しそうな面構えの割に読みやすい印象があったので、本書も期待して読み始めたのだが、人間と人工知能との比較検討が乱雑。特に中盤から終盤にかけてはその印象が強い

 例えば。

 芸術は過去にないものを創り出すものだが、人工知能は過去のパターンから持ってくるだけなので、よって芸術は人間によってしか可能たり得ないというくだりがある。著者のお仕事と本書の性格から言って、では、人間が芸術を創り出す時の知能のプロセスが、人口知能のそれと、どう違うのかということを提示してくれて然るべきでわ?

 ただし、人工知能肯定派(カーツワイルとか)は、まだ解き明かされていない人間の知能の働きを、モデル化という形で単純化したまま、処理速度の向上を以ってシンギュラリティの強力な論拠としているが、それでは知能の働きの大事な部分がこぼれ落ちたままになるという主張には強く同意。とは言え、色々なものの解像度が粗くなっていくのは、例えば音楽のアナログ→デジタルへの移行やインスタント食品なんかとも共通な現象なので、文明の発展の必然なのかもという気持ち(諦念に近い)もあるけど。

 それと同時に、人工知能に感情や心がないと断定はできんでしょうとも思う。人間だって、人体を構成している物質は分かってるけど知能や心の働きは未解明。もしかしたら未知の物質なり引力・斥力の働きによる動的生成なりで動いているのかも知れない。だから、トランジスタやシリコンでできているものにも「心」の動きがあるかも知れない。戦国魔神ゴーショーグンで「機械は友達!」とかって言ってたアレだ(違うか)。

 AI礼賛なバラ色SF未来への批判的論旨をふむふむと首肯しながら読み進めていったら、あれれ?肝心なところの紐解きはスルーですか?というのが散見される印象。ただし、読む価値はある本だと思う。

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